坂戸城は、魚野川をはさんで、三国街道を見下ろす坂戸山に立地しています。景勝が上杉謙信の養子となって春日山城に移ると、その春日山城の支城となりました。城主館跡の少し先には、上杉景勝・直江兼続生誕の地の石碑が建っています。
坂戸城主で上杉景勝の実父の長尾政景が溺死したのは、この地だったという説もあります。銭淵公園の敷地内には「直江兼続公伝世館」が建てられています。
春日山城は、上杉謙信の居城として有名です。後を継いだ景勝も、会津へ移るまで居城としていました。総延長1200メートルにわたる総構えを山麓に構えるという大要塞です。
林泉寺(りんせんじ)は、越後国の守護代長尾氏、そして上杉氏ゆかりのお寺として知られています。林泉寺は、上杉謙信・景勝の居城・春日山城の山麓に建立されています。
直江兼続は、1560年、越後国の坂戸城下(現・新潟県南魚沼市)で、樋口惣右衛門兼豊の長男として生まれました。兼続は、幼少の頃から、才能が非凡で、容姿も美しかったようです。兼続は上杉景勝の小姓として取り立てられ、生涯を通じて景勝に仕えることになります。
1575年、景勝は母の仙桃院とともに、上杉謙信の居城であった春日山城(現・新潟県上越市)に移りました。兼続も景勝と一緒に春日山城へと移りました。景勝と兼続は、上杉謙信という生きたお手本から直接教えを受けることになります。
1578年3月9日、上杉謙信は厠で倒れて昏睡状態に陥りました。その後、意識を取り戻すことなく亡くなってしまったので、養子の景虎と景勝の間で、後継者争いが起こることになります。
上杉謙信が没すると、後継者を巡って景虎と景勝の間で御館の乱と呼ばれる争いが起こります。これに勝利した景勝は、謙信の後継者として越後の大名となります。兼続は、この戦功以後、景勝の重臣としての地位を確立していきます。