与板城は、直江家の居城で、以前は本与板城と呼ばれる城を居城としていましたが、天正年間の景綱の時代に築城し、移転したとされています。景綱の子の信綱が亡くなった後、兼続が直江家を継ぎ、与板城主となります。
兼続は、未亡人となってしまった直江信綱の妻のお船(せん)と再婚し、名門・直江家を相続し、与板城主となります。
大阪冬の陣・夏の陣の後、直江兼続は、徳川体制の中で上杉家存続のために苦心します。
1619年、兼続は、体調不良にも関わらず、将軍・徳川秀忠の上洛に同行したことがたたり、江戸の屋敷で60年の生涯を終えます。